県連 エベレスト街道トレッキング20日間 その3(ロブチェ~チョラ峠~ゴーキョ~ルクラ)
11月4日 SpO2が低い2名のうち1名はSpO2が依然として危険値であるため、病院があるペリチェの村 4370mまでガイドのパサンさんと下ることになった。他の7名は当初の予定ではヘリでゴーキョまで20分ほどで飛ぶ予定であったが、出発2週間前にヘリの運行ルールが変わったということで、急遽3日かけてチョラ峠を歩いて超えることになり、初日はゾンラまでの行程となる。ゾンラまでまでは比較的短く楽な行程であるため朝はゆっくりと8時少し前に出発。ロブチェから南に下り、エベレストメモリアル付近からゴーキョ方面の西北へと入って行く。すぐに左手にチョラ湖とその奥にはタボチェ 6495m とチョラツェ 6440mが聳え立つ。ゆったりとした巻道を歩きゾンラのMeson Sherpaへはお昼前の11:25に到着した。
11月5日 この日はチョラパスを越えてタンナ(英語ではDragnagタクナック)までの最も長く険しい行程である。行程図と標高図を示す。標高図の横軸は左からの時間順となっているので、行程図とは左右が逆となっています。
チョラ峠の行程図と標高図
前日のミーティングでガイドの中山さんから「明日は私と(体調の歩い)Aさんは皆さんより早く5時に出発します」と言われ、「早く出発したほうが楽かも?」などと単純に考えて、Aさんが同室であることもあり一緒に先に出発することにした。このことで後から大変なことになるとはこの時点ではつゆとも考えなかった。夜明け前の暗い中、5時に出発し、ゆっくりとしたペースで登り始める。徐々に明るくなってきて、後ろにはアマダブラム 6856m、左にはチョラツェ 6440mが美しい。
6:20頃 4950m付近からチョラ峠への急登が始まると体調が悪いAさんはさらにスローペースとなる。7:20頃には5050m付近で現地ガイドのフラさんに率いられた後発の本体に追い越される。この辺りの岩石には海底地辷り型褶曲の微細構造が見られた。
7:45頃に5270m付近でチョラ峠へと続く氷河の末端に到着、チェーンスパイクを付けて氷河を登り始める。スパイクがよく利いて快適な氷河歩きで周りの景色を楽しみながら登って行く。
Aさんは中山さんに引っ張られながら苦しそうだ。氷河歩きを終えて11:30に5370mの峠に到着。その後、急なガレ場の下りを慎重に下って、13:30頃に5100m付近まで降りる。ここで中山さんから「もう危険個所はないので、林さんは一人で先に行ってください。後はあの丘を二つ越えて沢沿いに長い下りを行くと右手にタンナのロッジが見えます。我々は17時頃に着く予定です。」と言われ、暗くなる前にロッジに着きたかったので遠慮なく単独行とする。途中ヒマラヤのライチョウ、チベットセッケイが近くで観られた。
15:00頃に5250mの2番目の丘を越え、少し下ったところで遅い私たちを心配してポーター1人を伴って登ってきたフラさんの救助隊に出逢う。その後、長い沢沿いの下り道を歩くが、1時間以上下っても谷の中にあるタンナは右手の山に隠れていて一向に見えてこない。単独行で心細い中「まだ着かないのか?本当にこの道でいいのか?」とだんだん不安になってくる。16:50に精神的にも肉体的にも疲労困憊でようやくタンナのParadise Lodgeに到着した。この周辺の岩石には鉄電気石が多く観られた。体調不良のAさんはフラさんたちに背負われながら18時頃にようやくロッジにたどり着いた。
11月6日 翌日8:30 体調不良のAさんは馬に乗って、それ以外のメンバーは徒歩で別のルートでゴーキョへ向かって出発。行程図と標高図を以下に示します。行程図で空色の部分がゴジュンバ氷河です。
ゴジュンバ氷河の行程図と標高図
9:35ゴジュンバ氷河到着。世界第6位のチョ・オユー 8188m から流れる幅1km 長さ16kmに達するネパール最大の氷河である。この辺りでは、氷河は岩壁から落下した岩屑デブリに覆われ、白色ではなく灰色を呈する。こうした氷河をDebris covered Glacier D型氷河と呼ぶ。D型氷河は主に風化が激しい急峻な山に囲まれた地域の谷氷河に多く見られ、ネパールのクンブ地域ではD型が氷河面積の8割以上を占める。そのため、この辺りの氷河は、まるで違う星に来たかのような異世界感のある景色となっている。
11:30頃に氷河を渡り切って氷河岩壁の登りに入る。12時頃、峠を越えると美しい湖と畔にあるゴーキョの絶景が広がる。
記念撮影の後、ゴーキョまで下り、12:26 Gokyo Resortロッジに到着する。ここは新しい高級ロッジであった。
咳が止まらず微熱もあることから念のためにコロナ抗体検査を行ったら陽性となった。中山さんからは「コロナにかかってチョラ峠を越えたのは自慢できますよ」と言われてしまった。
11月7日 体調不良のAさんとコロナ陽性の自分は休養のため近くの散策にとどめ、他のメンバーはGokyo 5th Lakeまで往復する。
11月8日 ゴーキョピーク登頂の日であるが、Aさんと自分は9合目まで馬に乗って登ることとなった。
朝食後、本隊から約1時間遅れて7:57 ロッジを出発。8合目付近で本隊を追い抜き10時前に5280mに到着。本隊の到着を待ち、馬とみんなで記念撮影、馬はその後下山。最後の岩場を登って10:30に5340mのゴーキョピーク登頂。エベレスト、ローツェ、マカルー、チョ・オユーの4つの8,000m峰を含む壮大なパノラマを堪能できた。
全員で記念撮影をして11時過ぎに下山開始。お昼過ぎにロッジへ戻り昼食となった。
11月9日 9:40ころにヘリコプターが到着し、1陣と2陣に分かれてルクラまでのヘリで移動する。ヘリでの飛行時間はわずか20分程度であったが、上空からヒマラヤの山々の景観や谷間の暮らしを鳥瞰して楽しむことができた。
ルクラではロブチェから高山病のためにペリチェまで下山したMさんとガイドのパサンさんに再会できた。Mさんはペリチェで肺水腫と診断されてルクラまで馬で下山していた。
ご苦労様でした。自分も一緒に登っているような臨場感溢れた文章でした。私は60年前にルクラから山々を遠望しただけでしたので、現場を感ずる事が出来良かったです。豊田